创立者 木宫 泰彦 (きみや やすひこ) 先生
1887-1969年大正?昭和时代の歴史学者、教育家。
明治20年(1887)10月15日静冈県浜名郡入野村(浜松市)西湖山竜云寺に木宫充邦の次男として诞生。 第一高等学校を経て大正2年(1913)东京帝国大学文科大学史学科卒业。同期に中村孝也がいた。山形高等学校?水戸高等学校?静冈高等学校の教授を歴任し、昭和21年(1946)静冈高等学校长事务取扱を最後に退官。同年静冈に学校法人常叶(とこは)学园(はじめ静冈女子高等学院)を设立。同41年には常叶女子短期大学を设立し学长に就任した。この间中国に出张、勲三等瑞宝章を受け、従三位に叙せられ、银杯をうけた。同44年10月30日死去。82歳。墓は静冈市临済寺。
著书に『栄西禅师』、『日支交通史』上?下、『日本古印刷文化史』、『日宋関系』(岩波讲座『日本歴史』所収)、『参考新日本史』、『日本喫茶史』(海野久平と***著)、『日本民族と海洋思想』、『日华文化交流史』などがある。なかでも『日支交通史』(大正15年?昭和2年)とそれを改订した『日华文化交流史』(昭和30年)とは、古代から江戸时代までの日本と中国との史的関系を系统的に叙述した最初の学术书というべきもので、遣隋使?遣唐使?留学生?帰化人の行动などを详述し、禅僧の语録なども充分に利用していて、戦前における対外関系史研究の水准を示す代表的著述の一つである。───『国史大事典』による